山下白雨

浮世絵

葛飾北斎の浮世絵、「富嶽三十六景」の「山下白雨」について説明する。

浮世絵 冨嶽三十六景シリーズの三役にも挙げられる作品。
《凱風快晴》と双璧をなすように、富士山の堂々たる姿を表した本図は、《凱風快晴》が「赤富士」と称されたのに対し「黒富士」と呼ばれた。
快晴の山頂に対し、山麓に下ると漆黒の闇に包まれ強烈に走る一瞬の稲妻が描かれ、そこに激しい雨が降っていることがイメージできる。
自然に超越して、静と動をあわせ持つ、富士の雄大さ見事に表現された一枚である。

一般的な解釈として山頂の形状から、山梨側は御坂山塊、三ツ峠~新道峠の間、静岡側は富士宮市のどこかだろうと言われてきました。
このように山頂に大きな特徴があるにもかかわらず、実際の風景とピッタリ一致した場所の特定が未だにできていませんでした。
浮世絵『富嶽百景』「夕立の不二」には、その裾野の村に視点が移動した光景が描かれている。今日のように飛行機が無い時代にあって、
富士山を様々な視点からイメージできた浮世絵師の北斎の力量に驚くばかりである。

一般的には画題の「白雨」は夕立を意味する。
しかし、別の意見もある。
「白雨」について、以前に、夕立、夕方とイメージを連想させる。
「白雨」の本来の意味、即ち、にわか雨、明るい空から降る雨として、夕方とは限らない。
お昼のにわか雨と理解して絵を見ると、納得することができる。
もし、朝日か夕日であれば、陽の照らす反対側に影ができます。
この絵に明確な影が描かれていないことから、朝日でもなく夕日でもない。
昼間のにわか雨を意味するものと解釈する。

この「山下白雨」は、主板、色板の板木に欠落部分があるものが多く、浮世絵の初摺りのイメージを残すものが少ない。
山頂の中心部分の茶色の点の欠落や、落款の「筆」の下部部分の欠落などが見られるものもある。
この版は、初摺りに近いイメージを残している貴重なものである。後摺りの版では、その裾野に松の木が加えられたものもあり面白い。

この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。

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