葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「武州千住」について説明する。
この浮世絵の千住は、現在の住所では足立区千住桜木1丁目と2丁目の境、帝京科学大学入口交差点付近である。
かつては奥州街道の起点で、水戸街道、日光街道へも続く交通の要衝でした。
江戸四宿のひとつとして有名であった。
ここでは宿場の風景は描かず、ややはなれた隅田川上流の荒川水門脇のあたりを描いている。
水門の柱越しに見える富士が描かれ、水門の柱の直線と富士の形の対比を楽しんでいるかのようだ。
また、その水門手前の馬の背の形が、富士山と相似しているのも面白い。
馬の背につけられている運搬具は、駄付けモッコ(だつけもっこと)、「スカリ」などとよばれる道具で、大宮台地では畑のドロツケに使われいる。
土や堆肥など、運ぶ形にこだわらず詰め込めるものの運搬に使われるものだ。
運搬は野菜ではなくて草のようです。このあたりは江戸近郊のため下肥を多用し、草を刈って堆肥を作る習慣がほとんどない。
馬の飼料として刈った草なのだと思われる。
よく見ると馬の手綱も草鞋に結ばれて富士山と対称する形を作っている。
この浮世絵では、堀に釣り糸を垂らす二人の釣り人がいてのんびりした風景になっている。
この浮世絵の版は、茶の発色がとても美しい。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。

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