葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「下目黒」について説明する。
この浮世絵の下目黒は、現在の東京都目黒区下目黒になる。
当時は田畑が多い農村で、将軍が鷹狩りをする御鷹場としても知られていた。
浮世絵の構図は、画面の中央、道端で話をしている2人の男は鷹匠で、男たちの手の先には鷹が止まっている。
また田畑には、畑仕事をしながら鷹匠たちの話に耳を傾ける農夫やクワを担いで畑へ向かう農夫の姿も見える。
農家の母子が描かれている。
富士山は起伏に富む小高い丘の間から遠慮がちに顔を出している。
鷹匠について、当時の江戸の南西部の郊外に位置する目黒周辺は起伏に富んだ丘陵地帯で、幕府の御鷹場として存在した。
豊臣・徳川政権下では鷹場といった。江戸時代に鷹場をもちえたのは将軍と大名だけである。
天皇や公家は鷹場をもたなかった。近世の鷹場には、公儀鷹場と藩鷹場とがある。
鷹狩りは江戸時代になると軍陣の演習や民情視察をかねて多くの大名の間で愛された。
徳川三代将軍・家光と八代将軍・吉宗が、江戸とその近郊に遠大な鷹場を設け、鷹匠役所を置き、鷹狩りに関する法律を定めていた。
鷹は、もと朝廷からの御預り物だったので、将軍といえども御鷹ととなえるほど貴重なものだった。
現在は1490年の銃器の発明により衰退した。都市化・過密化する交通網・電線などに妨げられ、少人数による趣味として残ている。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。

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