葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「東海道吉田」について説明する。
この浮世絵の吉田は、現在の愛知県豊橋市下五井町に位置する東海道五十三次の江戸側から数えて34番目の宿場である。
吉田の宿は吉田城の城下町でにぎわった。
「不二見茶屋」はまさに富士が見える茶屋として有名であった。
お座敷の一角を陣取った2人の女性客も見物を楽しんでいる。
軒下には「御茶津希(おちゃつけ)」との看板が掲げられている。
その下には「根元吉田ほくち」とこの地の名産であった火口(ほくちとは火打ち石の火を受けるもの)の掲示も見える。
駕篭者の一人が草鞋を履きやすくするために木槌でたたく姿も篭屋の一人が草鞋を砧でたたいているのは、履きやすくするためである。
街道の茶屋ではよく見られた光景であった。
茶屋でくつろぐ右端の旅人の笠には「山型に巴紋」と「永」の字がある。腹掛けには「寿」の字があり、浮世絵の版元である「永寿堂」の宣伝がされている。
永寿堂(西村屋 与八 にしむらや よはち)は、江戸時代の浮世絵の版元である。
蔦重(蔦屋 重三郎)、鶴喜(鶴屋 喜右衛門)とともに天明寛政期における錦絵の代表的な版元である。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。

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