東海道五十三次の解説 50 土山

東海道五十三次

水口宿から土山宿まで10.6㎞   北緯34度56分05秒 東経136度16分56秒 

土山宿は、近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の49番目の宿場です。
土山宿は、現在の滋賀県甲賀市土山町北土山および土山町南土山にあたります。
平安時代に伊勢参宮道が鈴鹿峠を越える旧東海道筋を通るようになりました。
土山は難所を控える宿駅として発展してきました。
鎌倉時代に、京都と鎌倉を結ぶ東西の交通路がさらに重要視されました。
武士だけでなく商人、庶民の通行も盛んでした。
江戸幕府が土山を宿駅に指定してから栄ました。

宿場の中心は御役町で、そこに問屋場、本陣、脇本陣があります。
その周囲に旅籠や店、茶屋などがあり、細長い宿場町を構成しています。
江戸幕府は御役町の保護のため、地子の免除その他の特権を与えていました。
1843年の「東海道宿村大概帳」によると、家数351軒、人口1,505人、本陣2軒、旅籠屋44軒を数えています。

鈴鹿馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われました。
明治元年9月22日、明治天皇は満16歳の誕生日に、土山宿に宿泊しました。
大名などが宿泊した上段の間や、庭園などが当時のまま残されています。
宿帳や関札・工芸品などの貴重な資料が文化財として保存されています。

道の駅 「あいの土山」でのお土産は、さすが滋賀県最大の茶葉生産量を誇る土山茶です。
江戸時代にも土山を行きかう人々に親しまれていた土山茶です。
他にも、甲賀忍者にまつわる手裏剣やバウムクーヘン、信楽焼なども販売されています。

①「保永堂版」
 京都から江戸を目指すと最初の大きな峠が鈴鹿峠です。
 「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨がふる」と馬子唄に詠われた土山は、雨の多い場所として知られています。
 画面右の田村川の激しい水流は、そのことを示しています。
 「46の庄野宿」とは違い、雨を表す線が無数に交差して、雨足の強さを表現しています。
 降りしきる雨の中、田村川に架かった田村橋を大名行列の一行が静かに渡り始めています。

②「行書版」
 鈴鹿峠の山中を歩いています。雨の多い鈴鹿峠の風景です。
 蓑と傘の姿で荷物を背負っての行列です。先頭は泥水の中での移動です。

③「隷書版」
 「連山」「石がちの河原」「手前の道」の3段の構図になっています。

④「北斎版」
 よくわかりませんが、坂上田村麻呂の田村神社に関係していると思われます。

⑤「旅画像」
 道の駅 あいの土山です。

⑥「スタンプ画像」
 道の駅 あいの土山のスタンプです。

                    「保永堂版」

                    「行書版」

                    「隷書版」

                 「北斎版」

               「旅画像」

                  「スタンプ画像」

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