東海道五十三次の解説 51 水口

東海道五十三次

石部宿から水口宿まで13.7㎞   北緯34度57分58秒 東経136度10分01秒

水口宿は、近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の50番目の宿場です。現在は滋賀県甲賀市水口町旧市街です。
同じ甲賀市にある土山宿とともに、宿場町の景色を残す町並みが人気となっています。

石橋を境に、東側は道が三筋に分かれた宿場町で、西側は水口城の城下町で道が鍵の手になっています。
1634年に水口城が築かれ、1682年に水口藩が成立して城下町になりました。

1843年の『東海道宿村大概帳』では、家数692軒、人口2692人、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋41軒でした。
土山宿は家が351軒です。土山宿と比べると、家の数が圧倒的に多く、当時の繁栄がわかります。
本陣は作坂町の鵜飼伝左衛門家、天王町の儀峨彦之丞家と堤文左衛門家がありました。

宿は「街道一の人とめ場」と言われるほど、人々が訪れ栄えていました。
食はどじょう汁が有名です。東海道名所記に「水口宿は三百六十日旅人にどぜう汁の飯をする所なり」とあります。
食以外にも一大産業がありました。それは幻の「水口細工」です。
幕末には約7万点以上もの水口細工を用いた商品が、開国後は海外にも輸出していました。
昭和に入って職人が減少して、いつの間にか技術も材料もわからない「幻」になりました。

①「保永堂版」
 水口の名物である干瓢(かんぴょう)作りの模様が描かれている。

 干瓢は夕顔の実の果肉を細く剥き、天日に干して作られます。
 干瓢の生産は栃木県が国内産の99%以上で全国1番です。しかし、現在は中国産が増えています。
 食用として、低カロリーで食物繊維に富む。調理法としては水で戻す。
 そのあとに煮て、巻き寿司の具や、煮物、和え物などで使われています。

 左側には筵(むしろ)の上に座り一生懸命に包丁を入れる女性が見えます。
 奥の赤子を背負う娘は次に切る夕顔を持ち、手前の娘は細く剥かれた夕顔の実を干しています。
 右奥にも立てられた葦簀(よしず)に夕顔の実を干す女性がいます。
 この女性たちの勤勉な姿から山村の日常生活をみることがでます。

②「行書版」
 障子に大きく「木ちん宿」と書いてあります。このわらぶきの家は、木賃宿です。
 木賃宿は、燃料代を払い自炊できる安宿です。宿の前でわらを打っているのはこの宿の主人と思われます。

➂「隷書版」
 名所「平松美松」を描いています。
 寛政版東海道名所図会の「平松美松」と同じ構図です。
 うつくし松は、滋賀県湖南市平松の美松山(びしょうざん)の斜面だけに群生します。
 根本近くから幹が複数に分かれた美形の極めて珍しい松です。
 その自生地は国の天然記念物に指定されています。

④「北斎版」
 行書版と同じく木賃宿の構図です。
 看板に「ところてん」とあります。
 「ところてん」は名物なのかもしれません。

⑤「旅画像」
 宿泊した施設の一部になります。

⑥「スタンプ画像」
 水口駅の切符です。

                      「保永堂版」

                      「行書版」

                     「隷書版」

                 「北斎版」

                   「旅画像」

                   「スタンプ画像」

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