東海道五十三次の解説 21 鞠子

東海道五十三次

東海道五十三次の解説 21 鞠子

岡部宿から鞠子宿まで7.9km 北緯34度56分57.0秒 東経138度20分34.0秒

鞠子宿は、東海道五十三次の20番目の宿場です。
丸子宿とも書く。
後摺りでは「丸子」が「鞠子」と改変されています。
現在の静岡県静岡市駿河区丸子です。

本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠24軒、人口795人、家の数は211軒、宿の町並み長さ約800mです。
東海道中でもっとも小さい宿場です。

安倍川の丸子橋近くには、高札場の跡があり、宿場町に現存する高札のレプリカが立っています。
十返舎一九は『東海道中膝栗毛』の丸子のシーンでとろろ汁を作中に取り入れています。

丁子屋は、鞠子宿の名物とろろ汁を提供する店の一つです。
住所は静岡市駿河区丸子七丁目10-10です。
創業は戦国時代末期の1596年で、創業以来場所を変えずに営業し続けています。
現在は飲食のみを提供していますが、当初はお茶屋で宿泊施設としても営業していました。

丁字とは、当時貴重品であった香辛料の丁香(ちょうこう)のことです。
本陣跡から西へ3分ほど歩いたところにあり、名物・とろろ汁のほか、御膳料理を食することができます。
歌川広重が描いた名物茶屋は、丁子屋と紹介されます。
当時とろろ汁を提供する茶店は複数店存在しました。
広重が描いた建物が丁子屋であるという明確な証拠はありません。
浮世絵の解説でも、単に「名物茶屋」とだけ紹介されています。

丁子屋の茅葺き建物は、1970年、法人化とともに12代目当主の柴山信夫さんが、五十三次に似せた店構えにするため古民家を移築しました。
これは当時、丸子地区周辺がごく普遍的な農村地帯になっていました。
柴山さんが丁子屋がかつて松尾芭蕉や歌川広重らの訪問を受けていた事実を知りました。
この伝統を呼び起こしたく丁子屋の建物を、五十三次に描かれた茅葺き建物と同様にすると言う発想が生まれました。
柴山さんは20年間に計4,000万円を費やして『東海道五十三次』の版画すべてを収集しました。
柴山さんが収集した版画『東海道五十三次』は丁子屋にて所蔵されています。
店内に展示していた陶器製の浮世絵は地震で展示をやめました。

①「保永堂版」
道は海沿いから別れて山手へかかります。
松尾芭蕉の句の「梅 若菜 丸子の宿のとろろ汁」と詠われた丸子宿の情景です。
茶店には「名ぶつとろろ汁」との看板が立てかけらています。
旅人が床几に腰をおろし、大きな口で、名物のとろろ汁を美味そうに食べています。
背に赤子を背負った女房が、汁のおかわりを運んできています。
「お茶漬け」「酒さかな」の看板もあります。
店内には巻き藁に刺さった魚や干し柿も見えます。
茶屋の裏には横田山が見えます。
 
②「行書版」
 名物とろろ汁を描いています。
 紅白の梅が咲き、鳥がさえずる春の景色です。
 茶店内の人物の描写がすばらしいです。

③「隷書版」
 しんしんと降る雪の宿場を表現しています。
 宿場全体の様子がよくわかります。

④「北斎版」
 宿屋でとろろ芋をすってとろろ汁を作っている様子です。
 馬喰が馬から荷物を降ろしています。

⑤「旅画像」
 現在の丁子屋です。

⑥「スタンプ画像」
 丸子(鞠子)宿のスタンプです。

保永堂版 

行書版 

隷書版 

北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

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