江尻宿から奥津宿まで4.1km 北緯35度02分59.4秒 東経138度31分10.4秒
奥津宿は、東海道五十三次の17番目の宿場です
宿は、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠34軒、人口1,668人、戸数316軒、宿の町並み長さ約1.150mのこじんまりとした宿場です。
奥津は静岡県静岡市清水区の地名です。
この辺りの海辺は、古くから清見潟と呼ばれ、歌枕として名を馳せました。
興津という地名は、興津宗像神社祭神の1柱・興津島姫命(おきつしまひめのみこと)がこの地に住居を定めたといわれています。
平安末期から入江一族の興津氏が居住していたのでその名を地名にしました。
古代での呼び名は奥津(おくつ)、息津(おきつ)、沖津(おきつ)ともいわれている。
興津宿周辺は丘陵が海岸に接近する地形から、東西交通を監視・遮断するには好立地で、古代には東方からの不審者侵入防止のため清見関が置かれました。
風光明媚で知られた清見潟は、古代、清見関(きよみがせき)と息津(おきつ)駅が置かれていました。
この場合の息津は現在の興津と異なり、西寄りの横砂あたりです。
明治以降は鉄道が開通したことにより、西園寺公望などの元勲の別荘が建ち、避寒地として全国的にも知られています。
現在、清見潟の海岸寄りは埋め立てられ、清水港の興津埠頭となっています。
産物は紙・大根・鯉・甘藷です。
興津川は東日本で1番早くアユ漁を解禁する川です。
身延、甲府へ通ずる甲州往還(身延街道)が分岐する交通の要衝です。
参詣の道、塩の道としての機能も持っていました。
2004年に復元された「興津坐漁荘」を見学すれば、当時の雰囲気を身近に感じることができます。
①「保永堂版」
興津川を渡る2人の力士の旅を描いています。
奥に見えるのは三保の松原です。
その先には船の四角い白い帆が浮んでいます。
興津川を渡るのは2人の力士たちです。
一人は人足が4人掛かりで担ぐ駕籠に乗り、もう一人は馬に乗っています。
力士の重さに手を焼く人足と馬の姿です。
力士は馬からはみ出ています。
四人の駕篭かきは力士の重さに厳しい表情です。
江戸時代は相撲を勧進相撲と呼びました。、
寺社奉行の許可のもとで社寺への寄進や修復費用を賄う目的で開催されていました。
②「行書版」
清見ヶ関からの景色です。
馬上の旅人が馬を止めて景色を眺めています。
③「隷書版」
帆掛け船を中心に描いています。
海上目線で富士山と清見寺を眺めています。
④「北斎版」
旅人が興津川の横を旅しています。
⑤「旅画像」
JR興津です。
⑥「スタンプ画像」
JR興津駅のスタンプです。
保永堂版
行書版
隷書版
北斎版
旅画像
スタンプ画像
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