東海道五十三次の解説 7 藤沢

東海道五十三次

平塚宿から藤沢宿まで13.7km  北緯35度20分44.4秒 東経139度29分10.7秒

藤沢宿は、東海道五十三次の6番目の宿場です。
現在の 神奈川県藤沢市になります。

1601年に東海道の宿場となりました。
後に戸塚宿、川崎宿が追加され東海道6番目の宿場となりました。
東海道に宿駅伝馬制度が制定されると、藤沢は神奈川、保土ヶ谷、平塚、大磯、小田原とともに、最初に宿駅に指定されました。

地理的特徴は多くの道が集まる場所でした。
 八王子道(滝山街道は)北へ向かう。
 鎌倉道は遊行寺前で東へ向かう。
 厚木道は北西に向かう。
 大山道(大山阿夫利神社・大山不動尊へ)は、西へ向かう。
 江の島道(江島神社へ)は南へ下る。

江戸時代中頃以降は、「大山道」や「江の島道」の分岐点として、「大山詣り」や「江の島詣で」の旅人の拠点となり賑わいをみせました。
清浄光寺(遊行寺)の門前町として栄えました。
後北条時代は小田原城と支城の江戸城の桜田門、八王子城、玉縄城をつなぐ小田原街道の分岐点でした。
江島神社の一の鳥居があり、右手に江の島道が4kmの距離で江の島に通じていました。

遊行寺東門横の江戸方見付から台町の上方見付までの宿内の家並みは、長さ1.3km、江戸方より大鋸町・大久保町・城戸町の三町で、構成されていました。
1843年には本陣4軒、脇本陣1軒、旅龍は45軒、人口4,089人の宿場でした。
遊行寺の門前町で、1と6の日には市が開かれていました。
街道筋の南側に消防署本町出張所があります。
このあたりが宿場の中心で問屋場の跡があります。

藤沢御殿は徳川将軍家の宿泊施設です。
旧藤沢公民館と藤沢市民病院の間にありました。
1596年に東西106間、南北62間の広さの御殿が建てられました。
表御門は南側、裏御門は東側にありました
徳川家康、秀忠、家光と30回程度利用されています。
現在は御殿橋、陣屋小路、陣屋橋、鷹匠橋、御殿辺公園などの地名が残っています。
2016年4月に開館しました、藤沢市観光協会の「ふじさわ宿交流館」は、藤沢宿の案内を行なっています。

現在はJR(東海道線、湘南新宿ライン、上野東京ライン)、私鉄(小田急・相鉄・江ノ電)、地下鉄(横浜市営)、モノレール(湘南モノレール)の駅が存在し、利便性が高くなっています。
他の湘南エリアよりも海から遠い内陸部の人口比率が高く、人口は約44万人となっています。

湘南ユナイテッドBCは、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町のホームタウンとするプロバスケットボールチームです。
2020年に創設され、現在はB3リーグに所属しています。

①「保永堂版」
道場坂(遊行坂)と境川と江の島弁天の大鳥居の風景です。
このあたりを砥上原といいます。
坂を下れば藤沢宿です。
丘の上に建っているのが清浄寺(遊行寺)です。
一山49棟の格式ある壮大な建物です。
手前を流れる川は境川で、橋は藤沢橋橋です。
島弁天の大鳥居を、江の島を目指す4人の座頭が通り抜けようとしています。

②「行書版」
 境川と藤沢橋と大鳥居の風景です。
 左が藤沢橋で下に流れているのが境川です。
 右が江の島弁天の大鳥居です。
 鳥居の近くの道標に「江のしま道」とあります。

③「隷書版」
 江の島道と東海道の分岐点での夜の様子を描いています。
 藤沢宿の夜の賑わう様子です。
 鳥居の近くの道標に「江のしま道」とあります。

④「北斎版」
 江の島と富士山を描いています。
 手前に大きな牛がいます。
 この牛は江の島へ人や荷物を運ぶために待機をしているよう見えます。

⑤「旅画像」
 小田急 藤沢本町駅です。
 
⑥「スタンプ画像」
 小田急 藤沢本町駅の切符です。
 子供料金 70円です。

保永堂版 

行書版 

隷書版 

北斎版 

 旅画像 スタンプ画像

スタンプ画像

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