東海道五十三次の解説 8 平塚

東海道五十三次

大磯宿から平塚宿まで2.9km  北緯35度19分38.2秒 東経139度20分16.1秒

平塚宿は、東海道五十三次の7番目の宿場です。
現在の神奈川県平塚市になります。

平塚宿と大磯宿との距離は3kmで、東海道の宿場でも御油と赤坂間の1.7kmに次ぐ短い距離です。
大磯宿に近接した平塚宿は、中原御殿と陣屋との連絡基地として設置されました。

平塚宿は、東西に真直ぐに伸びる東海道に沿って町屋が続いています。
江戸から来る旅人が平塚宿に入ると、正面に高麗山が見え、それが目の前に追ってきます。
旅人の宿泊の少なかった平塚では、「大磯へは、あの高麗山を越えなければ行けません。これから越えるのは大変です」と無理やり宿泊させたという話があります。
平塚の名は、「吾妻鏡」に「範隆寺平塚」「黒部宮平塚」とあります。

平塚宿は、1843年は本陣1軒、脇本陣 1軒、旅籠54軒、家数は443軒、人口は2114人の宿場です。
八幡村の一部が八幡新宿として平塚宿の加宿となり、1655年に平塚新宿となりました。
平塚新宿の西端から平塚宿との間には、長さ270mの松並木がありました。
東海道の左右には民家が並び、その長さは1㎞、道幅7mから11mです。
宿は江戸方から18軒町、24軒町、東仲町、西仲町、柳町と続いています。
問屋場が人馬を常備する義務を負い、その運営をおっていました。
問屋場は、24軒町と東仲町の間にあり東組問屋と呼んでいます。
もうひとつは西仲町にあり西組問屋と呼んでいます。
街道北側24軒町に脇本陣安兵衛、西仲町に本陣加藤七郎兵衛があります。

Jリーグの湘南ベルマーレのホームタウンです。
藤和不動産サッカー部を前身として1994年にベルマーレ平塚の名称でJリーグへ加盟しました。
2000年に湘南ベルマーレに改称しました。
ホームスタジアムはレモンガススタジアム平塚です。
練習場は平塚市の馬入ふれあい公園サッカー場です。
チーム名はラテン語の美しい(bellum、ベルム)と海(Mare、マーレ)の2つの単語を合わせた造語です。

①「保永堂版」
 田んぼに囲まれた松並木の縄手道の風景です。
 縄手道とは畦道のことです。
 背景の丸い形をした山は標高165mの高麗山です。
 その後ろには小さく富士山の姿が見えます。
 中央には上半身裸の先を急ぐ早飛脚がいます。
 空になった駕籠を担ぎ、帰路につく駕籠かきがいます。
 街道脇に「棒幡(ぼうばな)」と呼ばれる標識が立っています。
 標識には、「是より東 江戸太郎左衛門御代官所 東海道平塚宿」と書いてあります。

②「行書版」
 馬入川の船着きばの風景です。
 船を待つ旅人と荷駄を積んだ馬が描かれています。
 対岸に渡し船が小さく描かれています。
 船を待つ旅人と荷駄を積んだ馬が主役になっています。

③「隷書版」
 保永堂版同じような情景で描かれています。
 保永堂版の高麗山より低く高麗山を表現しています。

④「北斎版」
 鳥居と石の灯籠の横に馬を休める馬喰と大きな荷物を運ぶ人足を描いています。
 
⑤「旅画像」
 平塚駅です。
 西組問屋場の跡です。

⑥「スタンプ画像」
 平塚駅のスタンプです。

保永堂版 

行書版 

隷書版 

 北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

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