東海道五十三次の解説 5 保土ヶ谷

東海道五十三次

戸塚宿から保土ヶ谷宿まで8.8km  北緯35度26分38.5秒 東経139度35分44秒

保土ヶ谷宿(程ヶ谷宿)は、東海道五十三次の4番目の宿場です。
現在の神奈川県横浜市保土ヶ谷区になります。

保土ヶ谷宿は、1601年に東海道に宿駅伝馬制度が始められたとき、伝馬宿として指定されました。
最初は東海道37宿駅が指定されました。
神奈川、保土ヶ谷、藤沢でした。
保土ヶ谷~藤沢間は17.2kmと距離があり、箱根以東では起伏も多く両宿の負担は大きっかたです。
そのため戸塚町ではモグリで、人馬を出して駄賃稼ぎをしていました。
旅人を宿泊させていたりもしていました。
戸塚町では保土ヶ谷宿の応援もあり、宿場として認めてくれるよう幕府に嘆願し、1604年に正式な宿場として認められました。
保土ヶ谷、戸塚間は8.8kmとなりました。

江戸からの旅人が、戸塚宿までが困難な場合、保土ヶ谷宿にしたといいます。
保土ヶ谷宿は、北に八王子道、南に金沢や鎌倉に至る鎌倉道があり、交通の分岐点です。

「江戸名所図会」では、保土ケ谷宿は「駅亭軒を連ね、繁昌の地たり」と紹介しています。
駅亭とは旅籠のことです。
江戸時代の旅人は、男性は日に40㎞ほど歩いたといわれいます。
江戸日本橋から42㎞に位置する戸塚宿が1泊目となります。
実は保土ケ谷宿に宿泊する旅人も多かったのです。
江戸時代後期の保土ケ谷宿は、旅籠屋は67軒、家の数558軒、人口2928人でした。
隣の神奈川宿は、旅籠屋は58軒、家の数1341軒、人口5793人です。
人口や家の数に対して旅籠屋が多かったのです。

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」では、「おとまりは よい程谷と とめ女 戸塚前ては はなさざりけり」と、旅人をつかまえて離さない。(「戸塚前」と「とっつかまえる」が掛かっている)
旅籠屋の客引きの女性の様子が詠まれています。
強引な客引きを詠んだ狂歌ですが、単に面白おかしいだけではありません。
背景に、保土ケ谷宿の賑わいも感じられるような雰囲気です。

権太坂を保土ヶ谷宿に含めています。
権太坂は、横浜市保土ケ谷区にある旧東海道の坂の名称です。
東海道を東京から西へ向かう際、最初の急勾配として知られています。
権太坂(1番坂、2番坂)、焼餅坂、品濃坂と坂道が続き、旅の難所でした。
箱根駅伝では、旧東海道の権太坂は通りませんが、近くの国道1号の坂を権太坂と呼んでいます。
往路2区の難所として位置づけられています。

新町橋(帷子橋)に描かれた橋は河川改修により、旧橋は天王町駅前公園内に移され「旧帷子橋跡」として保存されています。

①「保永堂版」
 夕刻の帷子川のかかる新町橋(帷子橋)の風景です。
 新町橋を渡ると二八そばの看板があります。
 店の娘が客を呼び込んでいます。
 大名行列の一行が宿場に入っていきます。
 橋を渡ろうとする虚無僧や武士を乗せた駕籠の姿があります。
 宿場の裏手にはのどかな田園風景が広がています。 
 現在は当時の帷子川や新町橋はありません。

②「行書版」
 新町橋を中心に描いています。
 宿の入口の蕎麦屋または茶屋の風景です。

③「隷書版」
 新町橋を中心に描いています。
 行書版と同じ角度からの描写ですが、季節が雪景色の冬です。

④「北斎版」
 保土ヶ谷宿の手前の田園風景です。
 馬に乗った旅人と徒歩の武家2人がすれ違っていきます。

⑤「旅画像」
 JR保土ヶ谷駅です。
 
⑥「スタンプ画像」
 JR保土ヶ谷駅のスタンプです。
 劣化して醜いスタンプです。
 スタンプは20年以上前なので新品に更新されていると思います。

保永堂版 

行書版 

隷書版 

 北斎版 

 旅画像 

 スタンプ画像

コメント

Translate »
タイトルとURLをコピーしました