阪の下宿から関宿まで6.5㎞ 北緯34度53分19秒 東経136度21分15秒
現在の三重県亀山市関町になります。
三重県の北西端、鈴鹿山脈の山裾に位置しています。
東海道五十三次の47番目の宿場です。
鈴鹿の関は、畿内にある逢坂の関、不破の関と並んで三関といわれています。
往時の街並みが保たれていて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
「日本の道100選」にも入選しています。江戸から明治期にかけての町屋が約200軒も連なる様子は圧巻です。
三重県の北西端、鈴鹿山脈の山裾に位置している。
約1.8kmにも及ぶ関宿は、西の追分からは大和街道に、東の追分からは伊勢別街道に分岐していた。
江戸時代にはこれらの街道を往来する人々でにぎわい、参勤交代や伊勢参りなどの交通の拠点として繁栄していました。
当時、往来の旅人に人気があったのは、深川屋の銘菓「関の戸」と前田製菓が復活させたこしあん入りの団子餅「志ら玉」です。
深川屋の銘菓「関の戸」は、京都の御室御所まで運ばれていました。
この2軒は現在も健在です。
「旅籠」は、「玉屋」は「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの大旅籠でした。
現在は、江戸時代の貴重な旅籠建築に、当時の道具や旅の資料などが展示されています。
①「保永堂版」
本図はその本陣を早朝に出発する「本陣早立」の様子を描いています。
支度をする駕籠かきの表情が豊かです。
、手前の立て札の画面をはみ出す仕掛けが面白いです。
陣幕には定紋が張り巡らされている。
これは広重の実家、田中家の文字を組み合わせたものです。
②「行書版」
庶民の旅籠風景の様子を描いています。
店先で旅人の袖を引きている老婆の姿や右の2人は価格交渉をしているようです。
中央では旅人が桶で足を洗っている様子です。
③「隷書版」
京方面かたの伊勢参りをする参宮道の一部です。雪景色が特徴になっています。
④「北斎版」
御堂は地蔵様と呼んでいる場所を描いています。
本尊地蔵菩薩は一休禅師の開眼仏と言われています。
⑤「旅画像」
西の追分の標識です。
⑥「スタンプ画像」
玉屋歴史資料館のスタンプです。
「保永堂版」

「行書版」

「隷書版」

「北斎版」

「旅画像」

「スタンプ画像」

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