東海道五十三次の解説 47 亀山

東海道五十三次

関宿から亀山宿まで5.9㎞ 北緯34度51分17秒 東経136度27分16秒   
 
東海道五十三次の46番目の宿場です。現在は三重県亀山市になります。

伊勢国鈴鹿郡亀山は、伊勢亀山藩六万石(幕末期)の城下町でもある。伊勢亀山城は 胡蝶城と呼ばれる優美な城です。
現存する建築物は 江戸時代の初頭に取り壊されました。
天守の代替として建てられた多聞櫓のみを残して、天守台や復元された二の丸帯曲輪などが史跡指定されています。

伊勢亀山藩は、徳川家譜代の大名による統治が続き 徳川家が上洛する折りには宿所とされました。
参勤交代の諸大名は 亀山宿に宿泊するのを遠慮したといわれています。

幕末期に於いては 東の露心庵跡から西の亀山城京口門まで 約2.5kmの範囲が亀山の宿場町とされました。
往来する旅人の増加とともに江戸口から外へ町屋が拡がり東新町や本町ができ 最東端には遊興街の茶屋町ができました。
江戸口から京口までの街道筋は 見通しのきかない曲がりくねった複雑な道や坂道が多く、城下町の特徴を表す町並みとなっています。

1673年、亀山城主の板倉重常によって築かれました。 東西120m、南北70mで、北側と東側に堀を巡らしています。
土塁と土塀で囲まれた曲輪を形成し、東端には平櫓が一基築かれていました。
曲輪内は3つに区画されていて、それぞれが析形となっています。

この築造には領内の村々に石高に応じて人足が割り当てられ、総計2万人が動員されました。
西側の区画には番所がおかれ、通行人の監視や警固にあたっていました。

①「保永堂版」
安藤広重の東海道五十三次では「蒲原」に次ぐ雪景の代表作です。
斜めに画面を二分する大胆な構図です。
画面の左側には、朝焼けに染まる中、塵一つない冬の朝の澄んだ空気を表現しています。
右側上方には亀山宿の入口で、崖の上に築かれた京口門が姿を見せています。
京口門を目指し、極端な勾配を登る大名行列が描かれています。
白と黒での表現で描かれた雪景色です。
空と行列をなす人々に施された彩色が画面に生気を与えています。
山の斜面に降り積もった雪が陽光に輝いています。
松の間から見え隠れする大名行列が連なって行きます。

②「行書版」
 大きな荷物を運ぶ人足が、松並木の木陰で休息している場面です。
 杖で荷を支えていることから、出立する準備をしていると思われます。
 次に息を合わせて、荷を肩に乗せるのでしょう。

③「隷書版」
 堀を右手に描いていますが、ちょっと内容がさみしい気がします。
 これは、城を大きく感じられるような配慮かもしれません。

④「北斎版」
 茶屋での休憩の場面と思われます。

⑤「旅画像」
 良い画像が残っておりませんでした。新東名高速道路の建設中の画像です。

⑥「スタンプ画像」
 亀山駅のスタンプです。

                      保永堂版

                      行書版

                    隷書版

                    北斎版

                 旅画像

                   スタンプ画像

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