東海道五十三次の解説 20 府中

東海道五十三次

鞠子宿から府中宿まで5.7km 北緯34度58分29.0秒 東経138度23分16.0秒

府中宿は、東海道五十三次の19番目の宿場です。
街は城下町である駿府の一角です。
現在の行政区画では静岡市葵区になります。

宿場は本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠43軒、人口14,071人、戸数3,673軒、宿の町並み長さ約3050mです。
徳川家康のお膝元であり、旧東海道はJR静岡駅の北側に位置します。
川の手前の西見付があった弥勒辺りには、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する安倍川餅を売る売店があります。

安倍川もちは、和菓子の1種で静岡県静岡市の名物です。
本来はつき立ての餅にきな粉をまぶし、その上から白砂糖をかけた物です。
現在では、きな粉をまぶしたものとこし餡を絡めたものの2種類を1皿に盛った物が一般的です。
静岡以外の地域では単にあべかわと呼ばれることもある。

江戸時代初期、安倍川岸で、徳川家康が茶店に立ち寄ったところ、そこの店主がきな粉を安倍川上流で取れる砂金に見立て、つき立ての餅にまぶし、「安倍川の金な粉餅」と称して献上した。
家康はこれを大層喜び、安倍川にちなんで安倍川餅と名付けたという伝承があります。
実際は、江戸時代の日本では珍しかった白砂糖を使っている事から有名になりました。
昔ながらの安倍川餅は、旧東海道の安倍川橋の東側で製造・販売している茶店風の店が3軒あります。
一方、お盆に安倍川餅を仏前に供え食べる風習のある山梨県などではきな粉と黒蜜をかける。
スーパーや和菓子屋等でも、この時期に販売される物はきな粉と黒蜜の物です。
餅の形も基本的に角餅です。
この風習から派生した土産菓子が信玄餅です。

駿府城は現在では、本丸と二の丸の城跡が駿府城公園として整備されています。
別名は、府中城、駿河府中城、静岡城などとよばれています。
江戸時代には駿府藩や駿府城代が、明治維新期には再び駿府藩が置かれました。
江戸初期には大御所政治の中心地となりました。

①「保永堂版」
安倍川の川渡しのさまを描いています。
川を渡る渡河風俗がこの絵の焦点です。
3人の女性が駕籠、蓮台、人足に背負われて渡る様子でいろいろな渡り方があります。
女性の後には肩車で渡る男性も続いています。
向こう岸からは2組の男たちが渡ってきています。
馬に荷物を載せて引く2人の人足とその荷を支える馬子です。
また、歩いて川を渡る客とそれを導く人足たちです。
当時の川越えの苦労がわかります。
 
②「行書版」
 名物安倍川もちの看板の茶屋が向かい合っています。
 左の茶屋では餅をついています。
 その場で出来立ての餅を食べています。
 松並木の先が安倍川です。

③「隷書版」
 府中の廓の木戸に向かう遊客の様子を描いています。

④「北斎版」
 府中の廓の中の様子を描いていると思われます。

⑤「旅画像」
 駿府城です。

⑥「スタンプ画像」
 JR静岡駅のスタンプです。

保永堂版 

行書版 

隷書版 

北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

コメント

Translate »
タイトルとURLをコピーしました