奥津宿から由比宿まで9.2km 北緯35度06分27.0秒 東経138度34分03.0秒
由比宿(由井宿)は、東海道五十三次の16番目の宿場です。
現在の静岡県静岡市清水区になります。
宿は、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠32軒、人口713人、戸数160軒、宿の町並み長さ約600mの小規模なの宿場です。
蒲原宿、興津宿に比べて小規模な宿場でした。
東海道各宿に割り当てられた人馬数(100人、100疋)の調達が難しく、11ヶ村が加宿に指定され、また助郷村は20ヶ村に及びました。
本陣は宿場の中央に位置し、約1,300坪の広大な敷地でした。
今川家の家臣で油井城主であった由比助四郎光教の子孫が代々岩辺郷右衛門を襲名し、明治に至るまで勤めました。
由比宿を過ぎると難所といわれた薩埵峠を越えなければなりません。
峠越えの準備をするために、小さいながらも由比宿は重要な宿場でした。
興津地区と由比地区の境界付近は、薩埵山が海へと突き出す地形となっていました。
古くは海岸線を波にさらわれぬよう駆け抜ける必要がありました。
このため、東海道の三大難所として語られていました。
1607年の朝鮮通信使の江戸初訪問の際に山側に迂回コースとして造られたのが薩埵峠です。
駿河湾に面した清水港の北に位置する薩埵峠は標高93 mの小さな峠です。
峠にある展望所からの富士山と駿河湾の景色は、絶景です。
現在は峠道はミカン畑とビワ畑のある急斜面の細道ながら、興津駅と由比駅の間に遊歩道が整備されています。
漁港の入り口に桜えびのモニュメントがあります。
このまちのいたるところに、桜えびが現れます。
全国的にも知られる、美味しい桜えびが獲れるまちです。
桜えび漁の許可証をもつ船は、由比・蒲原・大井川地区の合計で 120隻ほどです。
国産の桜えびは、100%駿河湾で水揚げされたものになっています。
日本では駿河湾および近接の遠州灘・東京湾・相模灘、長崎県の五島列島沖に分布します。
漁獲対象となっているの駿河湾のみです。
1894年に由比の漁師が、アジの網引き漁をしていたときに網が深く潜ってしまい、そのとき偶然にも大量のサクラエビが捕れたことが始まりとされています。
本陣跡が整備され、由比本陣公園となっている。
東海道名主の館(小池家住宅)は、1998年10月9日に、国の登録有形文化財に登録されました。
①「保永堂版」
薩埵峠を描いています。
この海は清見潟です。
薩埵峠は峠に入る前の波打ち際で荒波にさらわれる旅人が多く、東海道の難所の1つです。
朝鮮通信使の江戸初訪問の際に山側に迂回コースとして造られたのが薩埵峠です。
海に面した切り立つ峠を越える際、突然背後に現われる富士山の姿に旅人は感動しました。
駿河湾越しに見える富士山が美しく、急勾配な峠の輪郭とそこに生えた松の姿が共鳴します。
海上に浮かぶ船の四角い帆も画面に一定のリズムを与えています。
左上の崖には楽しく眺望を楽しむ旅人2人がいます。
峠道の断崖の上からこわごわとこの絶景を眺めている旅人を描いています。
対照的に、見慣れた景色に見向きもしない薪を背負った地元の杣人がいます。
現在も往時と同じ富士の絶景を眺めることが出来ます。
②「行書版」
由井川の徒歩渡しの様子です。
荷物を運んでいるに人物を描いています。
駕籠、天秤棒と運び方が違います。
③「隷書版」
海辺の茶屋の景色です。
名物さざえのつぼ焼きの看板があります。
④「北斎版」
揮毫の額に清見堂とあります。
⑤「旅画像」
JR由比駅です。ぼやけて映っています。
⑥「スタンプ画像」
由比本陣のスタンプです。
保永堂版
行書版
隷書版
北斎版
旅画像
スタンプ画像
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