由比宿から蒲原宿まで3.9km 北緯35度07分12.0秒 東経138度36分20.0秒
蒲原宿は、東海道五十三次の15番目の宿場です。
現在の静岡県静岡市清水区の旧蒲原町になります。
宿は、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠42軒、人口2,480人、戸数509軒、宿の町並み長さ約1.600mの中規模の宿場です。
吉原宿から富士川を渡って最初に到達する宿場です。
降雪の少ない東海地方ですが、歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』では雪景色で描かれています。
歌枕である古来の田子の浦は、この辺りです。
甲州年貢の江戸廻米業務や、駿河湾での漁業に携わる人が多い宿場です。。
土地を所有せず農作を行わない人のため、米屋が複数存在していた宿場です。
蒲原宿は人口の少ない隣宿・由比宿の肩代わりをされることが多かった。
西へは由比宿を越え興津宿までの継立を余儀なくされることがありました。
伝馬範囲は吉原宿から興津宿までの広範囲にわたります。
しかも薩埵峠という難所を抱え蒲原の人馬は疲弊していました。
蒲原宿内の旧和泉屋、志田家住宅主屋も構成文化財として認定されています。
十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」の中では、蒲原宿大名行列の一行に紛れ込んでご馳走にありつく弥次さん喜多さんの話などが描かれています。
「田子の浦」の名は、万葉集に収められた和歌で広く知られます。
万葉集が成立した頃の古来の田子の浦は、薩埵峠の麓から由比・蒲原あたりまでの海岸です。
万葉集には 「田子の浦」を含む歌が数首確認されています、その中でも万葉集三のものが良く知られています。
田子の浦港は富士市の製紙業を支えました。1960年代から1970年代にかけては田子の浦港のヘドロ公害の処理や訴訟を通じて全国的に有名でした。
この宿の魅力は、レトロな街並みです。
県内でも唯一歴史国道として認定された宿場町です。
なまこ壁が特徴的なお屋敷や和洋折衷の大正モダン建築などで見所が満載です。
①「保永堂版」
深々と降りしきる雪の夜道を3人の人物が慎重に足を運んでいます。
彼らが被る笠や蓑にもうっすら雪が積もり始めています。
人物以外を白と黒で描き、静寂に包まれる雪の夜の心細さを表現しています。
黄と青に着色した人物を配置し、人物を効果的に描いています。
舞台となった蒲原付近は元々雪深い地域ではありません。
揃物の1つとして雪景の設定で描かれたものです。
庄野の白雨と並んで保永堂版の最高傑作です。
広重の全作品中の雪景では最もすぐれた作品となっています。
②「行書版」
富士川と富士山を描いています。
川のほとりの柳の前で2人の虚無僧と修験者が話をしています。
③「隷書版」
富士川の風景に2艘の渡し船を描いています。
④「北斎版」
浜で汐を汲んでいる風景です。
⑤「旅画像」
蒲原のイベント案内です。これは大変ぼけています。残念です。
⑥「スタンプ画像」
JR蒲原駅のスタンプです。
保永堂版
![](https://i0.wp.com/www.n-heritage.org/wp-content/uploads/2024/08/ed206a843ef5164e51b3d7cca3e729b7.jpg?resize=1024%2C649&ssl=1)
行書版
![](https://i0.wp.com/www.n-heritage.org/wp-content/uploads/2024/08/ef5836c060a8e40af820724038acaa53.jpg?resize=1024%2C657&ssl=1)
隷書版
![](https://i0.wp.com/www.n-heritage.org/wp-content/uploads/2024/08/5ffe111f7c001c9f041502db73c4a3d4.jpg?resize=1024%2C638&ssl=1)
北斎版
![](https://i0.wp.com/www.n-heritage.org/wp-content/uploads/2024/08/5891380e6ae5c9da461dc50e3c420513.jpg?resize=707%2C1024&ssl=1)
旅画像
![](https://i0.wp.com/www.n-heritage.org/wp-content/uploads/2024/08/ce0446854dc520e9998711f79df7b7d7.jpg?resize=640%2C480&ssl=1)
スタンプ画像
![](https://i0.wp.com/www.n-heritage.org/wp-content/uploads/2024/08/13286f91456b197baadde359f7415b26.jpg?resize=1016%2C1024&ssl=1)
コメント