東海道五十三次の解説 11 箱根

東海道五十三次

三島宿から箱根宿まで14.8km 北緯35度11分22秒 東経139度01分29秒

箱根宿は、東海道五十三次の10番目の宿場です。
現在の神奈川県足柄下郡箱根町になります。

箱根関は、箱根にあった関所です。
一般には、江戸幕府によって1619年から1869年まで、相模国足柄下郡箱根の芦ノ湖湖畔に設置されていた東海道の箱根関所を指します。
宿は問屋場2軒、本陣6軒、脇本陣1軒、旅籠36軒、家の数197軒、軒人口844人です。

箱根越えの道の険しさに難儀した参勤交代の大名たちからの要請によるものです。
幕府は元箱根への宿場の設置を検討しましたが、箱根権現の門前町であったことから新たに芦ノ湖畔を開拓しました。
小田原宿と三島宿からそれぞれ50軒を移住させました。

神奈川県西部にあり、足柄下郡に属する町。箱根峠の東側にあり、箱根温泉や芦ノ湖、箱根神社で有名でし。

箱根山には箱根関所を中心として根府川(小田原市)・仙石原(箱根町)・矢倉沢(南足柄市)・川村・谷ケ(共に山北町)の6か所に関所が設置されていました。
1618年に箱根山にかかる箱根峠と箱根関所の間の狭い地域に設置されました。
これに対して古くからの箱根の町があった関所から小田原宿寄りの地域を「元箱根」と呼びます。
関所設置に不満を抱いた元箱根の住民が本陣の提供を拒んだため、三島宿寄りに急遽人工の町を設置しました。

箱根温泉は湯本、塔ノ沢、大平台、宮ノ下、小涌谷など町内にある温泉の総称です。
温泉地としての評価は、江戸時代の温泉番付によると前頭格でした。
1686年点では、箱根七湯には、次のように湯坪があった。
 湯本   湯坪  4ヶ所
 塔之沢  〃   12ヶ所
 底倉   〃   12ヶ所
 宮之下  〃   11ヶ所
 堂ヶ島  〃   2ヶ所
 木賀   〃   4ヶ所
 芦之湯  〃   2ヶ所
       総数 47ヶ所
箱根八里へ江戸からかなり湯治に来ていると想像されます。

戦後は、西武・国土計画陣営(駿豆鉄道→現伊豆箱根鉄道、伊豆箱根バス等)と、東急・小田急陣営(箱根登山鉄道→現小田急箱根、箱根登山バス等)によって「箱根山戦争」といわれました。
精力的な観光開発競争で急速に発展し、日本を代表する温泉観光地として知られています。

1月2、3日に行われる箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)は長い歴史があります。
数々の名勝負を生んだ正月の恒例行事で、箱根が最も活気にあふれる行事です。

①「保永堂版」
 山あいの峠を下る参勤交代の行列を描いています。
 極端に競り立った山が中央に描かれています。
 対照的に白く雪化粧した富士山が遠くにひっそりたたずんでいます。
 坂道を下る大名行列の姿は「天下の嶮、千尋の谷」と謳われた箱根の峠越えを表しています。
 多彩な山の岩肌の表現と迫力があります。
 広重の絵としては、これだけの思いきった山岳描写と色彩を用いた絵はほかにありません。

②「行書版」
 箱根峠は石畳の道が有名です。
 伊豆と相模の国堺は石や岩が露出した風景で以外です。
 駕籠で峠を越える旅人と天秤棒を担いで登る2人の姿が見えます。

③「隷書版」
 松明かりで夜間の峠越えを描いています。
 それにしても松明かり煙がすごいです。

④「北斎版」
 駕籠での峠越えを描いています。

⑤「旅画像」
 史跡箱根街道の看板です。

⑥「スタンプ画像」
 道の駅 箱根峠のスタンプです。

保永堂版 

行書版 

隷書版 

北斎版 

旅画像 

スタンプ画像

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