葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景」の「信州諏訪湖」について説明する。
この浮世絵の諏訪湖は長野県諏訪市にある湖である。信州諏訪湖は、栄泉や広重も描いており、当時人気のある観光スポットだった。
諏訪湖畔には、上諏訪・下諏訪その他の町が古くから発達していた。
遠景に見える城は高島城です。諏訪湖越しに見る富士が藍の濃淡だけでつくられた。浮世絵の技法の藍摺(あいずり)によって美しく表現されている。
諏訪湖にたった一艘だけ船が浮かんでいるのも、北斎の心憎い演出と言えます。
遠近法を巧みに用いた構図も北斎独特のものです。突き出た岩に弁財天の祠(ほこら)と二本の松を画面中央にして、諏訪湖を描いている。
高島城は、通称「浮城」と言われているように湖に差し出る形で建てられている。高島城には主に漁業を営む村落があった。
よく晴れた日には諏訪湖からも富士を眺望できる。
画面を遮るようにV字に大きく描かれた二本の松から見下ろすように諏訪湖を配し、富士の形と相似するように弁財天の祠を置く。
北斎の浮世絵では構図への強いこだわりを感じさせる。本作のような大胆な構図は、印象派の画家モネにも影響を与えた。
彼が描いた崖のほとりに立つ税関吏小屋のシリーズへの影響が示唆されている。
この祠のあった弁天島は江戸時代の灌漑工事で削りとられた。漁船が描かれているが、諏訪湖には近江国琵琶湖の源五郎鮒や甲斐国河口湖の小海老、
山梨県南アルプス市の荊沢(おとろざわ)の蜆が放流され、明海漁業、氷曳漁業(こおりびき)と呼ばれる漁業が盛んであった。
この浮世絵は1830年から1832年頃の作品である。北斎の年齢が72歳頃になる。
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